ぶどう石

定点観測記録

推しが決まらない、決められない

今とても悩んでいる。

一つのグループに好きなメンバーが二人いて、推しを一人に絞れないのだ。

日々さまざまなことで悩んでいるが、こういう(どうでもいい)悩みは悩むのが楽しい。他の、より深刻な悩みを忘れさせてくれる効果もある。

 

そのグループとは、なにわ男子である。

いまや飛ぶ鳥を落とす勢いのなにわ男子。追加公演の多さからも、人気急上昇中であることがわかる。

私は自身が関西人であるにもかかわらず、アイドルが関西色を強く打ち出すことにずっと抵抗があった。お笑いに走るとか、コミカルな曲を歌わされるとか。それらすべてがだめだとは思わないが、なんとなく避けてしまうところがあった。関西だからこういう振る舞い、こういうキャラクター、というような定型にはめられることが嫌だったのだと思う。

そんな中現れたなにわ男子は、関西ジャニーズJr.でありながら、正統派路線のユニットである。ビジュアルも曲も王道。私は「こういうのを待っていたんだよ!」と歓喜した。関西からキラキラの王道アイドルが誕生したことに喜びを隠しきれなかった。

 

 

そして先日、なにわ男子のコンサートへ行ってきた。全員を生で見るのは初めてだった。とても楽しくて、アイドルのコンサートに来た!という感じがした。デビュー組と比べても遜色ない。彼らのキラキラっぷりがまぶしく、ひたむきな姿に三十路は涙した。かわいい曲もかっこいい曲もいけることを証明し、絶対に売れるやん…と確信せざるを得なかった。

 

もともと私は大橋くんが好きで、長尾くんが少し気になるという状態で参加したのだが、始まって戸惑った。え、どっちも好きだな…選べない。

結局、コンサートの前半ではペンライトを大橋くんのメンバーカラーにし、後半は長尾くんのカラーにして対処した。傍から見れば、コンサート中に推し変もしくは担降りした人に見えただろう。コンサートを観て、「迷っていたけど、やっぱりこの人だな」と心が決まることはあったが、観て余計に悩むというのは初めての経験だった。

大橋くんはたぐいまれなスキルの持ち主で、圧巻のパフォーマンスだった。しなやかで動きに無駄がないダンスは何度見ても心奪われる。なので、パフォーマンスでは大橋くんに目が行きがちである。

一方、長尾くんは顔がかわいくて、笑顔が素敵で応援したくなる。ある曲でかぶっていた帽子がめちゃくちゃ似合っていて、絶対に将来かっこよくなるな…と謎の確信を抱いた。まだ知らない部分が多いので、これからもっと知っていきたいと思わせられた。

当分絞れそうにないので、いっそのこと、この状態を楽しもうかなと思い始めている。

 

ちなみに、推しを決められないグループはほかにもある。

傾向として、ビジュアルやキャラクターが好みな人と、パフォーマンスに惹かれる人との間で悩むようである。

これまでは、「このグループならこの人」と一人に決められたのだが、近年になって、一人に絞れないという事象が発生してきた。不思議である。

そりゃ、魅力的な人たちの集まりなのだから、複数の人を好きになっても仕方ないよなと開き直っている節もある。現実の恋愛や結婚では許されないだろうが、これが許されるのがアイドルのいいところでもある。

好きなものは多いにこしたことはない。そのほうが楽しいことも増えるのだから。人生を楽しむライフハックとして、多くの人を好きになるというのもありなのでは、とポジティブに捉えている。

自担に惚れ直す

「調べるJ」を観た。

事前にテレビ雑誌やのえるくんのブログを読んで、元太くんがどうやらけっこう活躍するらしいという情報を得ていた。また惚れ直すことになるの?すでに100回くらい惚れ直してるんだけど?困ったなあ、と頭を抱えながら、放送を楽しみにしていた。

 

 

めちゃくちゃよかった。

またしても惚れ直した。自慢の自担。これも100万回は言っている。

最初、「ジャニーズJr.屈指のノーテンキおバカキャラ」と紹介されておきながら、高いポテンシャルと根性を見せつけ、スタジオのパフォーマンスではまた異なる、ぐっとかっこいい面を見せ、ちょっと頭が追いつかないレベルだった。元太くんの魅力が凝縮されていた。

サッカー選手を目指していたと紹介される場面で使われた写真が懐かしくてかわいくて*1仰け反った。

過酷な企画にも関わらず、颯爽と走り抜けていく身体能力。ポテンシャルが計り知れない。以前から薄々感じていたんですけど、元太くんって、きっと何にでもなれたと思うんですよね。それこそ、サッカー選手にもなれていたと思う。その中で、ジャニーズを選んでくれたことが本当にありがたくて。

 

ロケ中、危機に直面し、胸が痛むシーンがあったが、驚異の回復力で再び走り出す強さ。達成はほぼ不可能と言われていたにもかかわらず、諦めるどころか、誰も予想しなかったほどの更なる力を発揮し、成し遂げてしまった。天才かよ…。ロケ中に体力的にも精神的にも成長していっているのがわかった。どこまで成長し続けるんだろう。元太くんはいつも、私の想像を軽々と超えていく。だから、見飽きることがない。

 

指名してくれた滝沢社長をはじめ、スタジオで応援してくれたJr.のみんなや司会のお二人が優しくて、感謝で胸がいっぱいになった。本当に大変な企画だったと思うけど、これをきっかけに、ファンになってくれた人や知ってくれた人は絶対にたくさんいるだろうから、とても意味があったし、今後につながったと思う。チャンスをものにして、見事に何倍にも生かす自担かっこよすぎかよ。

 

元太くんはよく「応援していてよかったと必ず思わせる」と言っていて、そう言い切るところが好きだし、その言葉が嘘ではないんですよね。彼が13歳の頃から応援していますが、ファンになったことを後悔したことは一度もないし、常に、もうこれ以上の子は出てこないと思ってきました。なかなかチャンスに恵まれない時期もあったけど、まつくというパートナーがずっと隣にいてくれて、トラジャという仲間と居場所ができて、安心して応援できる今がとても幸せです。これからもずっと見守り続けたい。そう思わせてくれる。

 

さすがに、自担が山の神になるとは思わなかった笑

*1:ユニセフのTシャツを着ている写真。もちろん持っている

福本大晴くんという逸材

皆さんは関西ジャニーズJr.のユニットであるAぇ!groupに所属する、福本大晴くんをご存じだろうか。

 

詳しいプロフィールなどは各自でググっていただくこととして、今回は大晴くんについてひたすら書き連ねていきたいと思う。

 

大晴くんを初めて知ったのは、2011年の少クラin大阪。フレッシュJr.として薫太たちと空手の型を披露していた。めちゃくちゃかわいい子やな!と一目で推しになった。その後、当時の自担が退所したので、しばらく次の自担候補を探していたのだが、そのうちの一人が大晴くんだった。大晴くんはしゃかりきに踊る子だったので、どこの現場に行ってもすぐに見つけられたし、元気をもらえた。大晴うちわを持って松竹に行っていたこともある。

大晴くんは福井宏志朗くんとシンメ(コンビでもある)を組むことが多く、福福と呼ばれていた。東の松松、西の福福と言われていたこともありました。松松、福福。推ししかいない。めでたい名前なので、まとめてお正月特番にでも出てほしい。個人的に元太くんと大晴くんが同い年なのが熱い。99年生まれってあまりいないので。

 

宏志朗くんが受験勉強で休業したあたりから追わなくなったので、その後の動向はまったく知らなかった。

 

それから数年経った今年、Aぇ!groupの結成が発表された。

大晴くん入ってる!でも、宏志朗くんはいないのか。複雑だった。

 

その後、BSでRIDE ON TIMEの「はじめまして、関西ジャニーズJr.です」を観た。フジで放送されたころから数か月遅れでの視聴だったが、すごくおもしろかった。リアルな裏側が見られて貴重だった。

密着はなにわ男子が中心ではあったが、番組内で目を引くシーンがあった。大晴くんが勉強をしているシーンである。勉強している姿だけでも驚いたのだが、そこでのナレーションで、彼が国公立大学に通っていることを知り、耳を疑った。え!?大晴ちゃん、国公立に行ってるの!?すごいやん、そんなに勉強ができる子だったの!すごくびっくりした。あとで知ったのですが、Jr.の活動を半年休業して、猛勉強の末に現役合格を果たしたそうですね。立派すぎる。しびれる。大晴くんがお笑い路線でいっていることに少し複雑な思いを抱えていたので、インテリ枠という武器を持っていたことがめちゃくちゃうれしかった。いや、あれだけギャグを考えられるということは頭がいい証拠なんだけども。とかいいつつ、大晴くんのギャグは案外おもしろいです。しょうもないのに不思議と笑ってしまう。

ちなみに大晴くんが通っているという噂の大学、私、現役のときに受けて落ちました。学部は違うけど。なので、すごさが身に染みる。全国的には知名度が高くないかもしれませんが、関西圏ではトップクラスの国公立大です。私はその後、一浪して別の国立大に進学しました。すごくどうでもいいですね…。

 

そんな感じで再び大晴くん熱が盛り上がってきたころ、炎の体育会TVQさま!!へ出演することが発表された。連日のようにゴールデンで大晴くんを観られるなんて!おそらく、Aぇ!groupが東京公演をしたおかげだろう。波がきている。

 

体育会TVでは颯爽と坂を駆け上がり、見事に勝利。かつての自担である上田さんとの共演もうれしかった。しかし、なんといっても、大晴くんはシンプルにお顔がかわいい。いいところはほかにもたくさんあるけれど、やっぱり顔がかわいいのは強み。かつ、意外と身長があって筋肉があるところも推せる。

Qさま!!は本当にうれしくて楽しみだったので、仕事をさっさと切り上げて急いで帰宅し、リアタイした。まさか、あんなに最後のほうまで残るとは。そんなに回答してないのに笑。持ってるなあ。でも、漢字の問題で「何処(いずこ)」がわかったのはすごいと思う。ギャグも披露させてもらえて、爪痕を残しましたね。ほかの出演者からかわいがってもらっている感じが伝わってきてよかった…。皆さんお優しい。

まさか、Qさま!!にインテリジャニーズ枠で大晴くんが出演する日が来ようとは。キャスターやクイズ番組への出演を視野に入れて、大学へ行くことを決めた大晴くんは本当に賢く戦略家。現にこんなに早く実績を作った。今後が楽しみすぎるではないか。私は阿部亮平さんをはじめ、高学歴キャラにめっぽう弱いのだが*1、そこに大晴くんが仲間入りして胸熱である。決して推されではなく、きっと何度も悔しい思いもしてきただろう彼が、腐らずに自分の強みを見つけ、開花させたことが素晴らしい。心から尊敬する。

 

今週は大晴くんのおかげでとても楽しかった。ミーハーな出戻りなので、ずっと応援されてきたファンの方々には顔向けができないが、応援させてほしい。また大晴くんを見られてうれしい。これからも彼の活躍を楽しみに、見守っていきたい。売れてくれ…!

*1:でも、頭がぶっとんでいる人も大好きです

マジLOVEキングダムへ行ってきた

あまりここでは書いていなかったと思うが、実は私は「うたのプリンスさまっ」シリーズが大好きである。

とはいえ、グッズは数えるくらいしか持っていないし、関連CDはレンタルで済ますレベルのかなりライトなファンである。シャニライはリリース前からすごく楽しみにしていたにもかかわらず、私のスマホの機種が古すぎて対応しておらず、あえなく断念したという始末。ゲームはプレイしていないし、プリライも映像でしか観たことがない。そんなレベルだが。

 

そもそもうたプリにハマったのは、ジャニヲタ界隈で話題になっていたからだ。もともと二次元は好きだったので、名前こそ聞いたことがあったものの、当時は二次元から離れていたので詳しくは知らなかった。そんなときにジャニヲタでハマる人が続出と聞きつけ、試しに観てみたら、まんまとハマったというわけである。

 

まず、絵が大変に好みであった。私にとって、漫画やアニメを好きになる要素として絵はとても大事で、いくらストーリーがよくても、絵が苦手だと敬遠してしまう。今はうたプリ以外にもアイドルものはたくさんあるが、やっぱり、うたプリの絵が一番好きである。

設定も細かい。シャイニング事務所って。シャイニング早乙女って。

 

そして、来栖翔くんに一目惚れした。

もう、わかりやすくどストライクだった。最初はビジュアルから入ったのだけれど、キャラクターを知ってますます好きになった。元気で、努力家で、仲間想いでファン想い。まっすぐすぎて少し不器用なところが愛おしい。ダンスが得意でアクロバットができる。下野さんの声も合っている。こんなの好きになるしか…。私が思い描く、理想のアイドルそのものだった。

 

翔ちゃんって、ジャニーズだと誰が近いだろうと幾度となく考えたが、思いつかなかった。いそうでいない。翔ちゃんは翔ちゃんしかいないのだと思った。

 

以前、うたプリの舞台を観に行った。正確には、シャイニング事務所のアイドルが出演した舞台の再演という設定なのだが(ややこしい)、いわゆる2.5次元舞台である。舞台の役自体がもともとのキャラクターを反映したものなので(当て書きのような)、役者さんは各キャラクターにかなり寄せてくれていた。

翔ちゃんがまさに翔ちゃんそのものだった。ビジュアルといい、キャラクターといい。翔ちゃんが実体をもって動き回っていた。観劇後、感動と興奮でいっぱいになり、世界に感謝した。こんなに忠実に再現してくれるなんて。 心の底から、生きていてよかったと思った。

ゲーム、アニメ、ライブ、舞台ときたら、あとは劇場版だな。そう思っていたら実現した。

 

以下は少しネタバレも含みます。

 

 

 

 

 

 

アニメ4期の最終回のライブシーンを観たとき、「私も二次元の世界へ行って応援したい」と強く思った。会場にいるお客さんがうらやましかった。同じ次元に行けないことを悔やんだのはこのときが初めてだった。二次元は二次元。我々が暮らす三次元とは切り離されているからいいのだと思ってきたが、初めて、二次元へ行きたいと思った。

余談だが、VRの進歩でそれに近いことはすでに実現しているようなので、あながち無謀ではないのかもしれない。すごい時代になった…。

 

劇場版というからには、ストーリー部分が大半を占めるのだろうと思っていたのだが、予想に反して全編ライブだった。そう、映画というよりはライブそのものだったのである。私はライブを観てきたのだ。

 

最初、これは外国?ファンタジー?不思議な世界観の映像を見せられて、とんちきな物語が始まるのかと若干冷や汗をかいていたら、実はライブのオープニング映像でした、というオチで「うまい」と思った。完全に世界へ引き込まれた。

 

楽曲、演出、衣装、振付すべてにこだわりを感じた。ジャニーズにも取り入れてほしい演出や振付がいくつもあった。現時点の技術では難しいだろうけれど、近い将来には実現できそうなものもあり、未来が楽しみになった。

特効のスケールがすさまじかった。KAT-TUNもびっくりな火と水の量。

目を見張ったのは、キャラクターの動きのリアルさ。ダンスの動きも、ちょっとした仕草も、現実のアイドルがやるものにそっくり。何度も「こういう動きする人、見たことある!」と思った。次元の境目が曖昧になった。現実のアイドルのライブをよく研究して作られたことが窺える。だからこそリアルで、かつ、現実にはできないことをやってのける。素晴らしいバランスだった。

 

それにしても、どのグループも魅力的で甲乙つけがたい。正直、HE★VENSがここまでいいグループになるとは思わなかった。世界観が確立されている。まごうことなき、切磋琢磨しあえる好敵手だ。QUARTET NIGHTの殺伐とした雰囲気を保ちつつも、絆が深くプロ意識が高いところが好きだし、ST☆RISHの個性豊かなのに絶妙なバランスが取れているところに惹かれる。全部推せる…。

 

今回の見どころであるスペシャルユニットでは、レン・嶺二・綺羅のユニットが大変好みであった。曲の世界観、引っ掻く仕草の振付、明かりがともっていく演出。←これ、HE★VENSの演出でしたね。他にもまちがっているところがあるかもしれません…那月・蘭丸・瑛一の鳥籠の中で歌う演出もたまらなかった。最高ですね。翔・ナギ・シオンのアイドルアイドルしたステージもよかった。かわいい子にはかわいいことをやってほしい。音也・藍・ヴァンはダンスが本格的で実によくできており、トップバッターにふさわしかった。真斗・カミュ・瑛二は3人のハーモニーと水の演出がマッチしており、とてもさわやかで美しく、心が洗われた。トキヤ・セシル・大和の近未来的な演出に度肝を抜かれ、こんなステージをいつかリアルでも見たいとわくわくした。要するに、どれも完成度が高く、さすがとしか言いようがなかった。本当によくできている。いや、できているというか、彼ら自身が考えて作ったステージだと思えることがすごい。

 

一度鑑賞できれば十分と思っていたのだが、一度では足りなかった。何度も観たい。同じ映画を複数回観たことがないのだが、初めてそれを経験することになりそうだ。もうすでにBDも欲しい。お気に入りのシーンを繰り返し観たい。一人ずつ振付をチェックしたい。いや、もう、本当に最高だった。

 

素晴らしいコンテンツがある時代に生きられる幸せをかみしめている。

好きなものがあってよかった。

好きなものが素晴らしくて最高。 

それでも前へ進んでいるなら

迷いと決断…今まさに私はこのテーマの渦中にいる。

というのも、つい先日、転職活動を始めたばかりだからだ。

 

現在の職場に来てまだ1年半。仕事をしながら資格を取得できたり、取引先から感謝されることがあったりするなど嬉しいことがあった一方で、不満も多く、やめたいと思うことが何度かあった。定着率が低く、やめていく先輩が何人もいた。それでも、本気でやめようとは思わず、しばらくは頑張るつもりでいた。

 

ところが、今年の4月に起こったとある出来事をきっかけに、「もうこれ以上ここにはいられない」と強く思った。

いつまでこんな扱いを受けないといけないのか、という内容のものだった。それ自体は小さなことなのだが、これまでに降り積もった不満と合わさって、とうとう爆発してしまった。その勢いで転職サイトに登録し、すぐにエージェントと面談することになった。

 

エージェントとの面談では、自分の気持ちを客観的に見直すことができた。自分が思っていたことを言語化するだけで随分すっきりする。自分がおかしいと感じていたことが、第三者から見てもおかしいことだったのだとわかった。こんなことも我慢できない自分は駄目だと心のどこかで思っていたので、そうではないとわかって救われた。他人に話を聞いてもらうことは大事である。転職を迷っている方には、面談をおすすめする。

 

改めて「働く」ということについて今一度考えてみた。私は子どもの頃から、自分は仕事を中心に人生を送っていくだろうと思っていた。思い返せば、いろいろな職業に憧れてきた。ちなみに、「将来の夢はお嫁さん」などという発想は一度も抱いたことはない。子どもながらに、なぜ自分の人生なのに他人任せなのだと疑問だったからだ。自分の人生は自分の手で切り拓いていくもの。そう思っていた。

 

しかし、私が憧れてきた職業はどれも少し特殊なものばかりで、大学卒業後→就職という一般的な就職ルートは考えたことがなかった。なんとなく、自分は組織に属することが向いていないだろうと思っていたからである。基本的に一人で遂行できる仕事がいいなと思っていた。

 

ところが、人生は希望通りにはいかない。一番やりたかった仕事に就けず、途方に暮れる羽目になった。これ以外の仕事なら大差ないから何でもいいやと、内定をもらったところにとりあえず就職した。だが、やはり、興味のない仕事であったため、長くは続かなかった。

興味がないうえにストレスフルな仕事だったので、私はどんどん疲弊していった。休日も心が休まらず、常に仕事のことで頭がいっぱいだった。休日出勤が多かったので、そもそも休日が少なかったのだけども。

「自分は一体何のために生きているのだろう」

ふとしたときにそんなことが頭をよぎるようになった。こんなしんどい思いをしてまで生きる必要があるのか。死にたいとまでは思わないけれど、生きるのを休みたい。休ませてほしい。こんなことを考えたあとは、両親への申し訳なさでいっぱいになった。ここまで大切に育ててもらったのに、生きていたくないなんて、私はなんてひどいことを考えているのだろう。もう、どうすればいいのかわからなかった。

ある日、私は玄関先で立ち上がれなくなってしまった。出勤の準備は整い、あとは家を出るだけなのに、座り込んでしまい、体が動かなくなった。焦った。どうしよう、なんで。何なのこれ。出なければいけない時間は刻一刻と迫るのに、体は一向に動かない。焦るのもむなしく、とうとう時間が過ぎてしまった。私は座り込んだまま泣いた。もうだめだ。もう無理だ。

そのまま1か月休職することになった。このときの記憶はあまりない。とにかく疲れ切って、何をする気も起こらなかった。大好きだった趣味にも興味が持てなかった。少しは元気が出るかと思い、チケットを取っていたジャニーズのコンサートに行ったものの、追い打ちをかけるように、応援しているジャニーズJr.が不在だったこともあって、まったく楽しめなかった。人込みにも疲れた。そして、職場復帰日が近づいてきたころ、帯状疱疹を発症した。医師には「かなり疲れているのでは」と言われた。不安に襲われたが、なんとか復帰することになった。しかし、就業環境はなんら変わらなかったので、結局その2か月後に退職することになった。

 完全に人生が詰んだと思った。私はこれからどうすればいいのだろう。私が生きていける場所はあるのだろうか。すっかり自信をなくしてしまったが、それでも働かねばならない。紆余曲折はあったが、なんとか仕事が見つかった。こんなぼろぼろの職歴で雇っていただいて感謝しかなかった。

 

仕事は性に合っており、とても働きやすかった。大学で学んだことを活かせるのもうれしかった。残業はないどころか、むしろ定時まで時間を持て余すくらいだった。

実はこの時点で、私は一番やりたかった仕事に就くことをまだ諦めていなかった。年齢制限はあるものの、それまでは就職試験を受けられるので、大変失礼だが、前職はつなぎとしか考えていなかった。自分の中で受験は3回までと決めており、それでだめだったらすっぱり諦めると決めていた。前職に勤める前に、すでに2回落ちていた。

 2社目で働きながら勉強を続けた。勉強する環境としては申し分がなかった。そして、働き始めて約1年後、背水の陣で挑んだ3回目の受験。結果は不合格だった。しかも、これまでは面接まで進んでいたのに、3回目は筆記試験で落ちてしまった。あまりのあっけなさと不甲斐なさで、思いっきり泣いた後笑った。とうとう終わってしまった。不本意だが、やることはやった。自分ができる努力はこれが限界だったのだと言い聞かせた。本当にやりたかった仕事なので、目指したことは後悔していない。今でも憧れの職業である。

受験から解放されて私は自由の身になった。しばらくは好きに生きることにした。時間は有り余るほどあったので、しょっちゅうブログを更新した。人生において最も気楽で楽しい時期だった。

しかし、さすがに暇すぎてつらくなってきた。忙しいのもつらいが、暇すぎるのもつらいのである。やることがないと、自分がどんどん退化していく感覚に陥った。これといったスキルを身につけないまま、年だけ取っていく気がして怖くなった。世間から置いていかれる気がした。

そこで、資格を取ることにした。自分に何かステータスを与えよう。そうすれば、少しは自信がつくのではないか。幸い時間はたっぷりあったので、勉強は苦ではなかった。まず簿記をやり、次に社会保険労務士の勉強を始めた。

社会保険労務士は難関ではあるが、内容が興味深く、これは自分に合っていると直感した。何年かかってもいいから、絶対に合格したいと思った。いつか資格を活かして働ければなあと漠然と考えていた。

初めての受験は、まったく試験範囲が終わらない状態で臨むことになった。受験申込の段階で、今年はどう考えても受かるはずがないと思っていたので、試験の雰囲気を味わうという意味で受けることにした*1。自己採点して、合格ラインには遠く及ばないものの、思ったよりできていたので、ちゃんとやれば受かる試験だと確信した。

 

二度目の受験は、かなり勉強して挑んだ。まあまあ自信はあった。が、社労士試験の合格率が低い最大の理由である、科目別の足切りにあってしまった。要するに、いくら総合点がよくても、1科目でも基準点に達しなければ不合格になるのである。ああ、自分もか…と肩を落とした。

 

私は今の仕事をしながら受験を続けるつもりでいたのだが、受験のことを話していた友人に「先に実務を経験してはどうか」とアドバイスされた。そのほうが受かりやすいのではないかと。確かに、机上の勉強だけではよく理解できないところがあった。そんなこと考えてもみなかったので目から鱗が落ちた。なるほど、先に環境を変えてしまうのか。随分思い切った選択だと思いながらも、社労士事務所の求人を探すことにした。案外、無資格でも採用してくれるところがたくさんあった。

最初に会社説明会へ参加した事務所が、若手が多いイケイケな雰囲気だったので面食らったが、条件のいい事務所から内定をもらい、転職することになった。今まで職探しに苦労してきたのが嘘のようにトントン拍子に進み、拍子抜けするほどだった。

入社して間もないころは、いい事務所に入れてよかったと思っていた。ところが、だんだんおかしいことに気づき始める。人の出入りが激しいこと、人間関係の複雑さ、求人に書かれていたこととの乖離…。当初は、こんなにいい環境なのに、なぜそんなに人の出入りが激しいのか疑問だった。しかし、だんだん理由がわかってきた。やはり、実際に入ってみなければわからない。長く働くつもりで就職したのに、ここでも難しいか…。軽く絶望したが、当分はここで経験を積もうと思った。それから今後のことを考えようと。

とりあえず、まずは資格を取らなければならない。慣れない仕事と勉強の両立でそれなりに大変ではあったが、覚悟はしていたので乗り切れた。主に、早起きして出勤前に勉強した。あとは通勤時間や昼休みの隙間時間を使い、勉強しない日を1日も作らないことを心がけた。試験の直前期がちょうど仕事の繁忙期にあたり、加えて、試験の3週間ほど前に「やめたい」と思うほどの出来事があり、かなりつらかった。事務所の実態が顕著になった出来事だった。数日は心身ともにボロボロで、猛暑もあいまって*2、食欲がない日々がしばらく続いた。それでもなんとかしのぎ、夏季休暇に最後の追い込みをした。

試験本番は、微妙な手ごたえだった。自信をもって解答できた問題が少なく、なんともいえない印象。試験時間中、後ろの席にいたおじさんが小さな独り言をつぶやいており、かなり気が散った。試験官を呼ぼうか迷ったが、すぐに退席してくれたので呼ばずにすんだ。

試験当日は疲れ切っていたので、翌日に自己採点した。思ったよりできている…!これならいけそうだと思った矢先だった。1科目、基準点に満たなかった。文字通り、頭が真っ白になった。うそ、だろ。しばらく何も考えられなかった。また来年も受けないといけないのか…。冷静に考えれば、解ける問題だった。こんな凡ミスをしでかすなんて。自己嫌悪が尋常ではなく、あまりのショックで血尿が出た。*3

気を取り直して、ほかの受験生はどうなのかネットを見ることにした。すると、私と同じ間違いをおかして、その科目を落とした人が大勢いることが判明した。なんだ、あんなミスをしたのは私だけじゃなかったんだ。それだけでだいぶ心が楽になった。ひょっとしたら救済があるかも…。社労士試験では、平均点が極端に低い場合、合格基準点が引き下げられることがあるのだ。一縷の望みを残した。

とはいえ、不安な気持ちは変わらない。試験から合格発表まで2か月以上あるので、すっきりしない気分のまま過ごすことになった。ふとしたときに試験のことがちらつき、落ちているかもと暗い気持ちになった。各予備校の予想では救済があるとの見方が大勢だったが、あくまでも予想に過ぎない。過去には、難易度が高かったにもかかわらず、救済されなかった例もあるので安心できなかった。

 

合格発表日。私は一緒に受験した同僚と結果を確認した。とても怖かった。

 

 

 

私の受験番号があった。

救済されたのだ。

 

 

同僚も合格していた。真っ先に思ったのは「これでもう、勉強しなくてすむ」ということだった。解放された。喜びよりも安堵のほうが大きかった。挫折続きだった私の人生にようやく一つのステータスを与えられた。やっと自分を認めてあげられる気がした。

 

そんなこんなで冒頭に戻る。合格はうれしかったが、仕事への不満は募っていった。むしろ、資格を取ったからこそ、余裕が生まれ、ほかの選択肢を考えるようになったといえる。

やめることは決めた。次は、どんな仕事をするかである。資格を活かせる職種で探しているが、いろいろな求人を見ていくなかで、自分が重視する点が何なのかがわかってきた。今より給与が上がることと、無理なく働けることの2点は外せない。無理なく長く働きたいので、残業が多すぎないこと。そして、もし出産しても復帰できること。育児と両立できること。どんなライフイベントがあったとしても、仕事を続けられる環境がいい。贅沢なのかもしれない。でも、当たり前のことだとも思う。自分は決してバリキャリ志向ではないが、仕事が嫌いなわけでもない。私が生きやすい道を探していきたい。自分がどんな決断をするか楽しみである。 

 

*1:受験料がまあまあ高いので、申し込んだことを実はちょっと後悔した

*2:社労士試験は8月の終わりに行われる

*3:その後、尿路結石を発症した

人生は一度きりだから

母からのLINEで嵐の活動休止を知った。

出先だったのですぐには事態が呑み込めなかった。急いでメールをチェックすると、確かに嵐のFCからメールが来ていた。おそるおそる会員サイトにアクセスし、全容を把握した。

私はつい先日、初めて嵐のライブに行ってきた。ワクワク学校には何度か行ったことがあったものの、純粋なライブは初めてだった。巨大なスクリーンに映し出される美しい映像、自動制御されたペンライトの光の波。最新技術を駆使した演出に、時代はここまできたのか…と感動した。私はジャニーズのごてごてしたセットや派手な特効が好きなのだけど、このような洗練されたステージも良いなと思った。大人になった嵐だからこそ、ファンの年齢層が広い嵐だからこそ、似合うステージだった。誰が見てもすごいとわかるし、誰もが見やすいと思った。そしてやはり、踊る嵐はシンプルにかっこよかった。

ちなみに、しばらくジャニーズ現場から離れていたため、恥ずかしながら、初のデジチケだった。こういうふうに発券されるのね!ついに私もデジチケデビュー!と少し興奮した。

 

5人でなければ意味がない。一人でも欠ければ嵐ではなくなるから活動休止するとの決断は、実に嵐らしいと思った。一方で、何人になってもグループを存続させるという決断も同様に尊いと私は思っている。

私はKAT-TUN担だったので、メンバーが脱退するたびにショックを受け、怒り、悲しんだ。しかし、すばるくんが関ジャニ∞を脱退したころから、少し考え方が変わってきた。個人の人生を縛り付けていいのだろうか、と。田口くんが脱退したとき、「人生について考えた」「自分のやりたいことをやりたい」という趣旨のことを話していたが、当時は「なんだよそれ。KAT-TUNにいたらできないことなのかよ」と怒り狂ったけれど、今なら少しわかる気がする*1

 

今回も翔さんが

他の何人かの思いで、一人の人生をしばることはできない

と述べていた。

そうだ、アイドルだって人生は一度きりなんだと、はっとさせられた。私たちに幸せを与えてくれるアイドルは、神様でも天使でもなく、私たちと同じ人間なのだった。一般人は自由に転職できるのに、アイドルは一生続けなければならないなんて、それは不公平な話である。そもそも、勝手にメンバーに選ばれ、グループを組み、デビューしたわけだから、本人の意思は介在していない。そんな中で20年も続けてくれたことは奇跡に近く、感謝するよりほかない。今までできなかった普通の生活をしてみたくなったり、やりたいことができたりしても、なんら不思議ではない。どう生きるかを決めるのは本人なのだ。

 

漠然と、嵐はずっとあるものだと思っていた。それくらい、私たちの生活に当たり前のようになじんでいる。SMAPのときに「永遠ではない」とわかったはずだったのに、まだ幻想を抱いていた自分に気づかされた。

アイドルの在り方がどんどん変わっていく。デビューの形態も変わっていくだろう。不安もあるが、どう変わっていくか楽しみである。これだから目を離せないのだ、ジャニーズは。

*1:脱退後の彼の行動を見ていると、やっぱりよくわからない部分も多いが

燃え尽きから脱する日まで

数年ぶりにこたつを出した。

ちゃんと使えるか心配だったが、元気よく動いてくれた。今まさに、こたつでこれを書いている。ここ数年、勉強の妨げになるから(うとうとしてしまうので)という理由で出さなかったのだが、これほど快適なすぐれものだったとは…と感動している。この冬はこたつで暮らそう。

 

昨年の11月に転職し*1、慣れない仕事に戸惑いながらも1年続けることができた。やっと社会保険労務士に合格することができ、今年の目標を達成することができた。試験の直前期が繁忙期だったので、本当につぶれそうになったときもあった。猛暑だった8月、公共の学習スペースで中高生にまじって勉強したのが懐かしい。完全に一人浮いていたと思う。マドンナ古文を使っている高校生を見かけて、おお、まだあるんだと感動した。私はゴロゴ派だったけど。あの子たちはこれからが受験本番だから、体調に気を付けて頑張ってほしい。試験があったのが8月の終わりで、合格発表は11月上旬。いつも思うが、マークシートなのになぜこんなに遅いんだ。その間、もやもやさせられる身にもなってくれ。まあ、合格率や合格ラインの調整に時間がかかっているのだろうけど、毎年合格ラインが変わる試験というのはどうなんだと思ってしまう。合格証書が思いのほか地味なデザインで、けっこうがっくりした。あんなに頑張ったのに、これっぽっち!?簡単に偽造できそう。

 

合格したことは素直にうれしい。自分をやっと認めてあげられた。自信がなかった自分にひとつステータスを与えられた。だが、燃え尽きてしまった。燃え尽き症候群って本当にあるのだと実感した。十分頑張ったので、もう頑張りたくないという心境になっている。甘いのは重々承知のうえだが、どうにもやる気が出ず、無気力だ。仕事内容そのものは嫌いではないのだが、入社当初はわからなかった、今の事務所が抱える問題点に気づいてしまって、今後が見通せなくなっている。人の出入りが激しい事務所なのだが、今年は一人も入社せず、私と同期がずっと一番下っ端のままで、相変わらず雑用を押し付けられている。せっかく資格を取ったのに、何も変わらない*2。せめて、雑用を当番制にしてくれたらだいぶ楽になるのだが。けもなれでガッキーも言ってた。話し合う場もないし、今まで改善しようとしてこなかった先輩たちにも腹が立つ。本来の業務とは無関係のところでイライラしている。

 

職場ではイライラしているが、私生活のほうは、勉強から解放されたことで随分楽になった。今までは、とにかく時間を捻出することに心血を注いでいたので、家事をいかに短時間ですませるかにこだわっていたが、時間のゆとりができたのでじっくり丁寧に取り組めるようになった。時間を気にせずにやれば楽しく感じられる。こたつを出すのもすごく楽しかった。

 

そして何より、趣味の時間がたっぷりできた。何も我慢しなくていい状態がこれほど幸せだとは。ゆっくり本や新聞を読める幸せ。楽しみにしているテレビや動画を観られる幸せ。心ゆくまでネットサーフィンできる幸せ。好きなときに出かけられる幸せ。知らないうちにいろいろなことを我慢していたのだと気づいた。当分はこの幸せを満喫したい。

無気力から脱することができれば、また新しいことに挑戦したり、学んだりしたいと思っている。年明けは、嵐のライブに初参戦することになっているので楽しみ。加えて、ずっと観たかったSHOCKを観にいければ言うことなし。チケット取れますように。しばらくは自分を甘やかします。

*1:奇しくも松松がトラジャに加入したのと同時期

*2:無資格の先輩が複数いる。