茶の間、自らのアイデンティティを見つける
ヲタ卒をして早7ヶ月。現場には昨年の8月以来行っていない。FCはすべてやめている。
そんな自分が「担当」を名乗っていていいのだろうか、とふと思った。
私は「ヲタ卒はしたが担降りはしていない」という、ひねくれたスタンスをとってきたのだが、待てよ、今の自分は担当らしいことを何もしていないではないかと思い至ったのだ。今頃何を言っているんだという感じだが、今頃になって悩み始めた。ヲタクの自覚がないのに担当なんて言っているのは、やはりおかしいと当たり前のことに気づいた。
ヲタクの自覚がない私には「担当」という言葉が重く感じられるようになってきた。現在、元太くんを見る機会は少クラと雑誌くらいである(ガムシャラはほとんど出ないし…)。今となっては、わざわざ担当を名乗る機会もない。ただのファンでいいじゃないかと思った。もともとDD寄りなので、好きな人たちみんなを応援していたい。「担当」という言葉をつかうのはやめようと思った。ただのジャニーズファンでいい。
私は一般人からすればジャニヲタだろう。Jr.担だったため、かなり知識はあるので一般人ではない。一方、ジャニヲタ界ではジャニヲタではないだろう。J事務所にほとんどお金を落としていないのだから。
つまり、私は一般人とジャニヲタの境界にいる。一般人にもジャニヲタにもなりきれないマージナルマンだ。
そこに自分の存在意義を見つけた。おそらく、これを読んでくださっている方のほとんどはジャニヲタで、私のような微妙な立場の人はほぼいないと思われる。私は、境界にいる立場から見えてくることを伝えていけばいいのではないか。実際、距離を置いたことで気づいたことや見えてきたことがある。ブログに真剣に取り組むようになったのも、実はヲタ卒してからである。ヲタの頃は常に必死で、文章をしたためる余裕がなかった。自分用のレポは書いていたが、とても人様にお見せできるようなものではない。ヲタ卒したことで自分と向き合うようになり、自分の気持ちや考えを書けるようになった。ありがたいことにブログを読んでくださる方が増え、反応もいただけるようになり、とても幸せである。元来書くことは好きなので、この場所はこれからも大切にしていきたい。
以前より熱量は減ったとはいえ、私は今もジャニーズが好きである。テレビに出ていれば観るし、だいたいの動向は追っている。ほしいものは買うし、行きたいものは行く*1。マイペースに摂取していくつもりだ。
また、私はジャニヲタが書く文章が好きである。世の中には文章が上手い人がこれほどいるのかと驚いた。すごいな、私には絶対に書けないなと憧れたり、こんな素敵なファンがいてこの人は幸せ者だなと感動したりしている。多様な感情を抱かせ、書かせるジャニーズもすごいし、感情を的確に言語化できるジャニヲタもすごい。そんな両者が好きだから、私はこれからもジャニーズの世界を見続けていくのだろう。
*1:カラフト伯父さん観に行くよ