ぶどう石

定点観測記録

文通相手との30年

先日、母と東京へ旅行に行ってきた。まさかの台風直撃で天候に恵まれず、予定はだいぶ狂ったが、それでも行きたかったところへは行けたので充実した旅であった。

 

旅の目的は母の30年来の友人と会うことであった。当初は母とお友達は、はとバスで観光する予定で、その間は別行動する予定だったのだが、この天気で観光は無理だろうということになり、私も同席して3人でご飯を食べることになった。私も東京にいる友人に会うつもりだったのだが、彼女の里帰り出産と重なってしまい、どっちにしろ一人で散策しなければならなかったのでちょうどよかった。

 

母のお友達は東京生まれ東京育ち東京在住の根っからの東京の人。母は京都生まれ京都育ち京都在住の根っからの京都の人。まったく接点のない二人はどうやって出会ったのか。

 

それは文通である。

どちらかが雑誌の文通相手の募集欄に投稿し、もう一方がそれを見て手紙を送ったのが始まりらしい。初めの頃は毎週文通していたというのだから驚きである。メールやSNSのない時代ならではの交流の仕方だ。しかも毎回けっこうな分量を書いていたらしく、手紙を書く習慣がほとんどない私は少し羨ましく思った。そんなに誰かに伝えたいことがあって、それを受け取ってくれる相手がいるって素敵なことだと思う。

過去にも何度か会って、旅行に行ったこともあるらしい。いくら文面で気が合うと感じても、実際に一緒に旅行するのはなかなかハードルが高い。やすやすとハードルを越えた二人はすごい。よっぽど相性がよかったのだろう。

時が流れ、手紙のやり取りこそしなくなったが、年賀状のやり取りは続いた。実に30年以上。同級生でも学生時代の友人でも仕事仲間でもない人と30年以上も付き合いが続くなんてことがあるのか。SNSで知り合った人とすぐに縁が切れる私からすると、考えられない長さの付き合いである。手紙だからこそできたのかもしれない。

母の独身時代からのお友達と対面するのは不思議な感じがした。なんだが照れくさかった。私の知らない母を知っている人なのだ。とても感じがいい人で、母はこういう人と気が合うのかと初めて知り、誇らしく感じた。母が席を外した際に、やりとりしていた手紙の内容をこっそり教えてもらった。夜中に机に向かって手紙をしたためる当時の母の姿が目に浮かぶようだった。お友達と秘密を共有したみたいで楽しかった。友人の成人した娘と話すなんていうシチュエーションはそうそうない気がする。不思議で楽しいひとときだった。

 

実際に会う回数や頻度は少なくても、こんなにも途切れない関係を築けるのだと私はひそかに感動していた。翌日、銀座の伊東屋に行って色とりどりの便箋を眺めながら、私も誰かに気持ちを込めた手紙を書きたいと思った。

今のところ、ファンレターくらいしか思いつかないけれども。