ぶどう石

定点観測記録

ジャニヲタだらけの寮

ここのところ、これまでのヲタ人生を振り返る機会が多く、どこにも需要がないけど自伝でも書きたいような衝動に駆られている。しかしまあ自己満でしかないので、振り返りは今回で終わりにする。

 

私のヲタ人生において、忘れられない1年がある。

今回はそのときのことを綴ってみる。

 

私は1年間寮生活を送ったことがある。

現役の時に志望大学に受からなかったので、1年浪人することになった。私の家は田舎で予備校まで通うのも大変だったので、予備校が所有する寮に入ることになった。

初めて親元を離れる不安と、知り合いが一人もいない場所で生活することへの不安、受験生活への不安で押しつぶされそうだった。同じ高校出身の友達同士で来ている人もおり、やばい、なじめるのかな…と早くも家に帰りたくなった。

初日に寮生全員が集められた。私が入った寮は定員30人の小さな寮だったので、一人ずつ自己紹介していくことになった。何も言うことが思いつかなかった私は、頭が真っ白になり、あろうことか「KAT-TUNのファンです」と口走ってしまった。自分の人生において最大の黒歴史である。公の場で何言ってるんだ自分。恥ずかしいにもほどがある。やってしまった…と思った。穴があったら入りたいとはこういうことを言うんだな。でも、他の子が何を言っていたかまったく覚えていないので、きっと私が言ったことも誰も覚えていないだろうと期待しておく。

 

恥ずかしくてすっかり落ち込んでいたのだが、あとで「私もジャニーズ好きだよ。嵐が好きなんだ」と声をかけてくれた人がいた。うわああ、ありがとううう。言ったかいがあった。高校時代、一人もジャニヲタ友達がいなかった私にとって、初めてできたジャニヲタの友達だった。彼女は担当のいない箱推しの嵐ファンだった。彼女は毎月アイドル誌を買っており、「嵐のページ以外なら、好きなだけ持っていっていいよ」と言ってくれたので、お言葉に甘えて遠慮なくごっそり切り抜き、すかすかになった雑誌を返していた。少しくらいお金を出すべきだったなと思う。

 

だんだん寮になじんでくると、思いのほかジャニヲタが数多く存在することが判明した。よくつるんでいた子たちは、赤西担・大倉担・丸山担だった。ここに光一担と上田さんを気に入ってくれたラルクヲタも加わることがあった。寮では朝も夜も、食事の時間である6時半から8時までしかテレビを観られなかった。8時になると自動的にテレビの電源が消えるのである。おもしろい番組はだいたい夜8時以降に放送するので、この1年間はほとんどテレビを観ることができず、世間から置いてけぼりを食らっていた。ジャニヲタとしては非常につらい。その対策としてワンセグ対応の携帯にしたのだが、私の部屋は電波が悪く、まったく観ることができず宝の持ち腐れとなった。しかし、最上階に住む赤西担の部屋は電波がよかったので、ときどきカートゥンKAT-TUNを録画して見せてくれた。

 

このような環境だったので、ある日、丸山担がポータブルDVDプレーヤーを買ってきた。でかした!と、おのおののDVDを持ち寄り鑑賞会をした。毎日のようにズッコケ男道を歌っていた。寮と予備校の往復しかない渇いた生活の中で、こうやってはしゃぐことがいい息抜きになっていた。*1

 

各部屋には小さな冷蔵庫が備え付けられており、私はそこに雑誌の切り抜きを貼っていた。それを見た大倉担が「いっそ埋め尽くしちゃえば?」と言った。ナイスアイディアと思い、私は小さな磁石をたくさん買ってきて、細かい写真も駆使し、冷蔵庫全面を切り抜きで埋め尽くした。完成した痛冷蔵庫をお披露目すると、「ほんとにやったのか」「でもきれいに埋まってる。すげー」と言われた。退寮する日まで、その冷蔵庫とともに過ごした。もちろん、出ていくときにはきれいにはがした。大量の磁石のやり場に困ったのは言うまでもない。

 

私は共学しか通ったことがないのだが、女子校ってこんな感じなのかもしれないと思った。好きなだけ騒げるし、寮内ではどんな格好をしていても平気だ。全然洗濯しない人、あまりお風呂に入らない人、部屋がきれいな人、ゴミ屋敷みたいな部屋の人。いろいろな人がいた。

私がつるんでいたメンバーは外見がばらばらで、「どこで出会ったんだよって感じだよね」とよく笑っていた。たぶん、同じクラスにいても友達にはなっていなかったと思う。たまたま小さな寮の中で出会い、ジャニーズが好きという共通項があったから仲良くなれた。しかし、全員個性的で裏表のない性格だったことも大きい。寮の中では女子特有の派閥やいさかいもあったのだが、私たちは浮いていたので、そういうことには一切巻き込まれず、自由に過ごしていた。*2それでなくても受験というストレスにさらされているのに、余計なことにまで気を遣いたくない。平穏に過ごせたおかげで勉強もはかどったし、私は無事志望校に合格することができた。

 

つるんでいたメンバーの進路は、大学進学、また浪人するなど、それぞれ違った。大学生になってから、赤西担とはライブに行った。また、丸山担に私の名義を貸していた*3のだが、良席が来たらしく、マルからファンサもらえた、ありがとうという連絡があった。大学生になって数年はたまに会っていたが、住んでいるところも出身地もばらばらなので、今ではまったく連絡を取らなくなってしまった。もう会うことは難しいかもしれないが、彼女たちと過ごした日々はとても楽しかったので決して忘れることはない。中高と青春らしいことをほとんどしてこなかったので、この1年がもっとも青春だった。みんないい子だったので、それぞれの場所で幸せに生きててくれたらなと願っている。

*1:普段はちゃんと勉強していたのです

*2:相手にもされていなかったのだw

*3:You&Jだったころ