ぶどう石

定点観測記録

なぜ私は腐女子ではないのか

かれこれ12年ほど考え続けてきた問題である。

なぜ、私は腐女子ではないのか。腐女子にならなかったのか。

他にもっと考えることがあるだろう、とツッコまれるのは重々承知のうえで書くことにする。

 

 

中学生の頃に二次元に夢中になり、高校生になってオタク仲間ができた。友人はれっきとした腐女子で、彼女にBLの同人誌を何冊も見せられたりしたが、あまりピンとこず、興味が持てなかった。私の好きなキャラが受けにされているのを見たときは、正直ショックだった。私の好きなキャラはだいたい受けにされがち。需要があるのはわかるのだけど、自分には合わなかった。見なければよかったと後悔した。と同時に、なぜ私はBLを好まないのだろうと考えた。BLを好きになったら、もっと楽しくなるかもしれないのにと悔しい気持ちもあった。

BLには興味がわかないのに、百合っぽいものは好んだ。「マリア様がみてる」や「青い花」などが大好きだった。女の子たちの友情以上の絆や友情を超えた感情に揺れ惑う姿が美しく見えて好きだった。実際にこういうこともあるかもしれないなとちょっと思った。ラブラブでハッピーな雰囲気より、自分の感情に気づいて悩む姿に惹かれる。葛藤、障害をはらんだ過程が好き。たぶん、これはBLでもよく描かれると思うけど。

BLには惹かれなかったものの、男子の友情にはとても惹かれた。男子がわちゃわちゃつるんでいるのを見るのは楽しい。私がクラスでかわいいと思っていた男子二人が仲良くしている様子を見たときは眼福だったし、かっこいい子とどちらかというと地味で目立たない子が戯れている現場に遭遇したときは「そこ、仲いいんだ!?」と少し興奮した。

また、ライバル関係というものにも大変惹かれた。漫画やアニメはもちろん、ジャニーズ内でのライバル関係にはぐっときた。なので、シンメには心底弱かった。仲間であり、相棒であり、切磋琢磨しあう良きライバル。単体でも魅力的なのだけど、二人が合わさることによって1+1=2以上の魅力が生まれる。片割れがいなくなったり、解消されたりしても、伝説的に語り継がれるシンメがあるのは、何かしらそこに宿命めいたものを感じるからなのだろう。

しかし、シンメにかぎらないが、腐売りをされると一気に萎える。営業チックなものを見かけると、ほどほどにしてくれと思う。もちろん、それを期待するお客さんはいるから否定はしないが、私個人としては、本人たちが無意識に行う何気ないやり取りや絡みに萌える。

恋愛まではいかない、でも、普通の友情では片づけられない微妙なラインが私のツボなのだと思う。一般女子以上腐女子未満といったところか。一般女子ってなんだ。二次元、ジャニーズといったBLの本拠地、つまり、目覚めるには絶好の環境に身を置いてきたにもかかわらず、私は腐女子にはなれなかった。なりたいわけではないのだけど(なろうと思ってなるものではない)、楽しそうな腐女子たちを見るとちょっぴりうらやましい。ある友人は親子二代で腐女子だそうで、お母様と一緒に楽しんでいるらしく、いいなあと思った。露骨な絡みや性描写には抵抗があるが、BLに惹かれる気持ちはわからなくもないのだ。乙女ゲームの主人公よりも、彼らの様子を見守る立場になりたい。そこに自分はいらない。自分は当事者にならなくていい。

 

3年ほど前にコント番組内で中島ケンティー主演の「美絵流学園」というドラマをやっていたのを思い出した。あれは普通におもしろかった。ジャニーズが公式でBL物をやることにびっくりしたけど。