ぶどう石

定点観測記録

イオンもない田舎の若者

ときどき申し上げているが、私の出身地はけっこうな田舎である。地元に関して思うところがあったので、少し長くなるが書かせていただこうと思う。

 

私の地元には娯楽施設はおろか、書店もない。今から3年前にようやくコンビニがオープンしたが、私の家からは車で15分かかる。ふらっとは立ち寄れない。町にある大きな店といえば、食品スーパーとホームセンターくらいだ。

私は子どもの頃から本が好きだったので、「本屋がない」ことがずっと許せなかった。なぜないのだ。文化がないのかこの町には、と憤っていた。私の親も本好きなので、この点についてよく一緒に怒っていた。図書館はあるにはあったが、小さいので蔵書が少なかった。

ジャニヲタだった私は、新曲発売の知らせがあると、市街地に勤める父にCDの予約を頼み、買ってきてもらっていた。ここからは地元とは直接関係のない話だが、少しだけ書いておきたい。

父の会社にはレコード店が出入りしており、その店のおばちゃんにお世話になっていたようだ。その店は演歌のCDが主力商品の小型店で、あるとき業者から、私が予約していたCDの出荷が難しいと言われたそうである。大型店に卸すと、その店にまでまわす分がないとのこと。しかし、おばちゃんはそこで引き下がらずに頑張ってくれた。「先に注文していたのはうちだ」と主張して、仕入れてくれたのである。そうやって手に入れたCDなので、手元に届いたときの喜びといったらなかった。複数買いが当たり前になった昨今だが、ときどきこのときのCD1枚の重みを思い出す。会ったことはないが、おばちゃんには感謝している。ありがとう。ネットを使いこなせるようになってからは専らアマゾンに頼るようになってしまったが、苦労して手に入れていた頃の方が楽しかった気もする。

話を戻す。私が高校生の頃にようやくわが家にもインターネットの回線がやってきた。パソコンにヤフーの画面が現れたときは感動した。しかし、それから10年経つというのに、うちの地域はいまだにISDNである。ネットができればどこでも仕事ができるという人がいるが、ここではそれも難しい。携帯の通信速度も遅い。これでは、若い人は住みつかないだろう。日本中どこにいても快適にネットがつながるようネット環境を整えてくれないか。

中高生の頃は、都会の中高生が学校帰りにクレープを食べたり、カラオケに行くことに憧れていた。高校から私の家までは個人商店が一軒あるのみで、高校生が寄り道できるようなところはなかった。帰るしかない。

電車が通っていないので、街に出るにも一苦労である。車がないと生活できない、どこにも行けない。子どもは親の車に乗せてもらうか、バスに1時間揺られて遊びに行くしかなかった。

 

前置きが長くなってしまったが、私の地元はこんな感じである。本題はここから。近頃、田舎を出ない若者(いわゆるマイルドヤンキー論)が話題になっているが、それらについて引っかかることがあった。田舎の若者は休日になったら車でイオンに行く。イオンですべて済ませ、都会に出たがらない。なるほど。

 

イオンがあれば十分ではないか?

車で気軽に行ける距離にイオンがあり、買い物も娯楽も全部そこで済ませられるならそれでいいだろう。不便を感じていないのなら、わざわざ出て行く必要がない。若者のコミュニティが存在し、コミュニケーションの場があり、満たされているなら問題はないように思う。問題は、イオンすらないような田舎なのではないか。

 

前述のとおり、わが町には若者が楽しめるような娯楽施設も商業施設もない。まったりできる喫茶店やカフェ、ファミレスもない。若者同士がつながる場がない。そもそも、若者があまりいないのだが。

地元の就職先といえば、介護施設、役場、農協、郵便局である。特に介護施設は雇用の受け皿となっている。聞いた話なのだが、介護施設に通っているおじいさんが若い職員に「休みの日はどこかに遊びに行くのか?」と尋ねたのだそうだ。返ってきた答えは、「特にどこにも行かない」。何もこの職員が変わっているわけではない。私と同世代の親戚も、高校卒業後地元で就職したのだが、彼も休日はほとんど出かけないらしい。ぱーっと遊びに行こう、とはならないのだ。おそらく、出るにも一苦労だし面倒なのだ。それなら家でゆっくりしようとなるのだろう。

気持ちはわかる。家にいることを別に否定するつもりはない。だが、本当にそれでいいの?と思ってしまう。田舎で家と職場の往復だけの毎日。たまにはほかの場所に行って、楽しいものや美しいものに触れてみたくはないのだろうか。他人の生き方をとやかく言うつもりはない。価値観を押しつけるつもりはない。でも、やはりもったいないと感じてしまう。もっといろんなことに触れて感動したり刺激を受けたりする経験をしたほうがいいのではないか。何より、人との出会いが限られてしまう。さまざまな人に出会う機会がないため、世界が広がらない。いろいろな可能性を自ら手放しているように感じられるのだ。

朝ドラ「まれ」の登場人物で、主人公の幼馴染のみのりちゃんという女の子がいる。彼女は地元の農協に就職し、地元で結婚して暮らすことを夢見ている。そのみのりちゃんが、横浜へ旅立つまれちゃんに放ったセリフが印象的だった。

まれちゃんや一子ちゃんには、うちのかわりに外の世界を見てきてほしいんよ*1

みのりちゃんはとてもいい子だ。しかし、このセリフを聞いたとき、「本当にそれでいいの?自分の目で外の世界を見なくてもいいの?」と思った。みのりちゃんが地元で就職した人たちと重なって胸がつまった。 生まれ育った土地を大切にすることはいいことだ。彼らのように地元に残ってくれる人がいるおかげで、町は存続している。だが、そこだけで世界が完結してしまっていいのだろうか。世界中を飛び回っている人からすれば、私も国内にとどまっている以上たいしたことはないのかもしれない。それでも、田舎を出ただけで随分刺激を受けた。もちろんいいことばかりではないが、知らずにいるほうが私は怖い。いろんな世界を見たうえで、自分が生きていく世界を選び取っていきたい。一度くらいは、外を見る機会があってもいいのではないかと思うのだ。

 

こんなふうに書くと地元を嫌っているように映るかもしれないが、そんなことはない。田舎で生まれ育ってよかったと思っている。小学校まで片道1時間かけて徒歩通学したおかげで足腰は丈夫だし、帰りはイタドリやグミの実を採って食べていた。帰り道に出会ったおばあさんがゆで卵をくれたこともあった。低学年の頃は毎日学校から帰ってくるなり、近所の子と家の裏にある山に登って遊んだ。夏は川で泳ぎ、冬はそり滑りをした。誰も道を通らないので、外で思いっきり歌を歌えた。成長するにつれて不便さが目につくようになっていったが、子どもの頃にのびのびと過ごせたことは自分にとって財産だと思っている。

 

以前にこちらの記事を読んで以来、地元のことを考えるようになった。重なるところが多々あり、何度も読み返してしまう。こういった地域は全国にたくさんあるのだと思う。こういう地域の実情を、一人でも多くの方が心に留めておいてくださればと願う。

 

fuhouse.hatenablog.com

  

*1:一子ちゃんも幼馴染。東京に憧れている女の子