ぶどう石

定点観測記録

担当を振り返る~その2 元担編~

前回の記事はかなりの熱量で本気を出して書き上げたので、達成感があった。けっこう読んでいただけたみたいでうれしい。他の記事は別に読まなくてもいいけど、これだけは読んでほしいと思う勢いで書いたので。一人でも多くの方が元太くんに興味を持ってくれたらうれしいなと思っている。

 

さて、今回は前の担当について。

彼は退所して今は一般人なのであまり詳しくは書かないが、私にとって大きな存在だったので少しだけ書かせてもらう。彼のプレゼンではなく、完全に自分語り。

 

彼はかつて関西ジャニーズJr.の一員で、ジャニーズWESTのメンバーとともに活動していた。

彼の最大の功績は、一生好きだと思っていた元々担の上田さんから担降りさせたことである。これは私にとって大変大きな出来事で、ヲタク人生を揺るがした。それまでも好きなジャニーズの人はたくさんいたが、決して上田さんを超えることはなく、一番は上田さん以外にありえなかった。そんな私の前に突如、上田さんの絶対的地位を脅かす存在が現れた。しかもジャニーズJr.。しかも関西。何もかもが未知の世界である。

なぜそんなことになったのか。勉強に追い込まれていたころ、私は現実逃避として動画を漁っていた。そこでたまたま見つけたのが関西ジャニーズJr.の動画だった。おお、こんなかわいい子たちが関西にいるのかと、Jr.に疎かった私は初めて彼らの存在を知った。しかし、その中で一人だけ見たことがある子がいた。以前、雑誌で見かけてかわいいと思った子だった。それが彼である。ユニットに所属していることは知らなかった。どの子も魅力的だったが、やはり彼にハマっていった。私は彼らの動画を観まくり、どんどん深みにはまり、転げ落ちていった。どんどん私の心を浸食してくるので混乱した。ひょっとして、上田さんより彼のほうが好きなんじゃ…と頭をよぎったときも、「いやいやそんなはずはない。そんなことはあるわけがない」と言い聞かせていた。しかし、そんな抵抗も空しく、彼をちゃんと知ってわずか1ヵ月半で担降りしてしまったのである。あまりにスピード担降りで、自分のことなのに他人事のようだった。まだ生で見たこともないのに。当時の私は貪るように担降りについて書かれたブログを読んでいた。時には共感して涙した。担降りしてよかったんだと自分を納得させるためだったのだろう。本当になんでこんなことになってしまったのかわからなかった。

まったく未知の世界に足を踏み入れてしまったので、私はとりあえずJr.について勉強し始め、関ジュ担の友達を作ることにした。そのときに出会った同担の友達とは今でも仲良くしている。今はお互い担当が変わったが、趣味が合うので一緒にいてとても楽しい。彼女と出会わせてくれたことに感謝している。

彼のファンになって初めて私はうちわを作った。今までは公式うちわで済ませていたのだが、Jr.なので公式うちわがなく、作らざるを得なくなった。不器用なので避けてきたため、しぶしぶ取りかかったのだが作り始めると楽しくなった。自分で作ったうちわを見てもらえるほうがずっとうれしいなと思った。コンサートは楽しかったが、彼はすでに干され気味だったのですっきりしない気持ちが残った。2011年の冬のことである。私はしばらく勉強に専念しなければならなかったので、その後に一度番協に行っただけで、あけおめも春松竹もクリエも行かなかった。彼を見るのがそれで最後になるとは、そのときは夢にも思わなかった。

夏になり勉強から解放され、舞台に行こうと思っていた矢先だった。舞台が始まる2週間ほど前のことである。公式ページから名前が消えたとの情報が駆け巡った。当初は何かの手違いだろうと軽く考えていたが、事態は深刻な方向へ向かっていった。これはガチだなと受け入れざるを得なくなり、頭を抱えた。第一報から1週間後、とうとうジャニーズショップの写真が撤去された。私はかなり精神不安定になっており、朝起きると、やめたというのは夢だったんじゃないかと毎日思った。でも、現実なんだとすぐに思い知らされ沈んだ。舞台を観に行って、いないことを自分の目で確かめた後も何度も夢に出てきた。そこまで依存していたのだ。担当がいなくなるということがこれほどつらいとは思わなかった。これがあるからJr.担はつらい。頭では理解していたつもりだったが、実際に体験してみないとわからない苦しさだった。喪失感を埋めるように、その夏はほかのグループのコンサートに行ったり、渡辺麻友さんのイベントに足を運んだりした。結局彼をきちんと観たのは数回だけだった。彼の担当を名乗ったのは1年だけだったが、とても濃い時間だったし、いろいろな経験をさせてもらった。好きになってよかったと思っている。アイドル時代の彼は誰よりもアイドルだったし、幸せをたくさんくれた。

 

そして、私の新たな自担探しの旅が始まったのである。