茶の間はヲタクなのか
ここ数日考えていたことがある。
それは「どこからどこまでがヲタなのか」ということである。非常にどうでもいいことだが、自分が先月ヲタ卒*1したこともあり、改めて考えてみようと思ったので書く。
私が思うヲタとは、「コンサートに行くレベルの人」である。コンサートでうちわとペンライトを振る行為がジャニヲタのもっとも基本的かつ重要な行為だと思うからである。今の私はというと、現場に行くことをやめたのでこの定義からは外れることになる。そこで、茶の間ということにしているのだが、そもそも茶の間はヲタに入るのか入らないのかがはっきりしない。ヲタレベルの最下層によく位置づけられているが、私のヲタの定義に照らすとヲタではない。
しかし、私自身、ヲタクではなくなったはずだが、ヲタ卒して何か変わったのかといわれると特に何も変わっていない。グッズを処分したりFCをやめたりしたくらいで、相変わらずザ少年倶楽部とガムシャラとアイドル誌の発売日を楽しみに生きている。*2お金は使わなくなったが、アイドルを思う熱量は何も変わっていない。それどころか、現場に行かないと決めたことで、以前よりも熱心にテレビを観るようになった気がする。
考えれば考えるほど、今の私は何者なのだとわからなくなった。アイデンティティが不明である。そんなもやもやしていたときに
企業や学校、社会の「型」にハマることについて - ぐるりみち。
自分で選び取ったつもりでも、型の中でしか考えていなかったということはある。ゆらぐことは大切だと思った。
2014/11/14 09:54
このブログを読んだ。そして、「ああ、型にはまらなくていいんだ」と肩の力が抜けた。もちろん、ブログに書かれている「型」とはもっと私たちの人生に直結する大きなものを指すのだが、私のくだらないアイデンティティ問題にもヒントをくれた。ヲタクなんて十人十色、正解も何もない。こうしなければならないというルールがあるわけでもない。自分の好きなように楽しめばそれでいいのだ。自分がヲタだと思えばヲタだし、ヲタじゃないと思えばヲタじゃない。他人からは別の評価をされようとも、自分がどう思うかで決めればいい。
ほんっっとうにくだらないけれど、自分としてはすっきりしたのでよしとする。私は茶の間をヲタだと思わないので、茶の間である今の私はヲタではない。ということにしておく。
あと、これは別の話になるかもしれないが、私は担降りをしたつもりはない。ヲタ卒はしたけど担降りはしていない。これでも一つ記事を書けそうだが。べつにヲタじゃなくても担当という言葉を使っていいと思う。そもそも担当という概念自体が人それぞれちがうのだから。いろんな形があっていいと思うのだ。多様性があるほうがおもしろいでしょう。「こうじゃないとだめ」とか、なんでも決めつけたり強制したりするのはよくないと思うんだ。それぞれの楽しみ方で楽しめばいい。